第一部
神様との出会い
河原に寝転がりながら、青年は空き家で拾った丸い石ころをまじまじと眺めていました。石ころはとても不思議な形をしています。真ん中に大きな丸があり、その周りを小さな丸が囲っていました。
「持っていても仕方ないか」
青年は石ころを振りかぶります。
「ちょ。ちょーっと!それはやめてほしい。それはやめてぇ!」
突然石ころが喋り始めました。
「うわ!石がしゃべった!」
青年は慌てて石を投げ捨てました。
「やっぱり落ちるのねぇぇぇー!」
不思議な石は川に沈んで流れて行きます。
「な、なんだったんだ。今のは…」
気味が悪くなって足早にその場を後にしようとした時、
「自分、いきなり投げ捨てるとかひどいやん」
「うっわ!また出た!」
河原に投げ込んだはずの丸石が目の前でふわふわと浮かんでいます。少し甲高いその声も石から聞こえたようです。青年はすっかり腰を抜かしてその場に座り込んでしまいました。
「ひ、人魂ぁ…!」
構わずに不思議な石ころは話し続けます。
「人ちゃうよ。神様やから。この時代風に言うなら獅子神さまやね」
ワハハと笑いながらくるくると回転すると、ぽんっ!と小さな煙を出して不思議な石ころは肩のりサイズの白い羽の生えたライオンに変わりました。
「ん?どうしたん?口空いたままやで」
あんぐりと口を開いたまま、青年は腰を抜かしたまま固まっています。
「まぁ怖いもんじゃないから安心してええよー。むしろ空き家の小箱から出してもろたお礼をしようと思ってたくらいやし」
ふわふわクルクルと飛び回りながらライオンの神様は喋り続けます。
「あの空き家でなんで石ころになって箱に収まっていたんですか?」
少し落ち着きを取り戻してきた青年は恐る恐る聞いてみた。
「ま、なんやろ。いつもいろんな時代を飛び回ってるんやけども、こないだのとこから移動しとる時に神通力が切れてしもうて。意識がそのままなくなって気づいたらあそこやったんよ。神通力が切れたら石になっとった。」
「あ、ちなみに言うと神社にいる狐さんとか狛犬の石像は神通力の切れた姿なんやで。神通力が復活すればまた神様の使いとして大活躍なんやけどなぁ」
獅子神様は頭をぽりぽりとかきました。
「大昔は皆、作物にお祈りして、とれた獣や魚にも感謝し尽くしてたんよ。この国の一番えらい人がガンガンお祈りしとったくらいやし。」
「たくさん神様とその使いがおったんけど人間が争う様になって喜びや感謝の気持ちが少なくなってしもうてからはだいぶ数が少なくなってきてんな」
よく喋る神様だなぁと感心しながら、青年は話を聞いていました。
「まぁ、そんなわけでこの場所に来たのもたまたまやし、いつも神通力が切れると色んなのに変化してしまうんやけどもね。まぁ今回は石やった。と。」
もう一度ワハハ。と笑うと最後に一言付け足して獅子神様は飛び去って行きました。
「あ、そろそろ時間やから行かんと。神様の会合があって目覚めた途端に呼び出されたんよ。全く忙しないわぁ。まぁお勤めやから仕方ないねんけどね。ほな行ってくるわ」
喋り続けながら小さくなって雲ひとつない空の彼方に消えていきました。
まだ半分口が開いたまま、青年は思考がぐるぐるしていました。そういえば。と一刻ほど前の出来事を思い出します。
ため作
この青年は名前はため作。身長も体型も平均的でしたが働き者で気配り上手。真面目で心優しい性格でした。ため作はみまもり村というのどかな山の麓に住んでいます。自由気ままな暮らしがしたくて十年ほど前にこの村に移り住んできました。この村は城下町からはとても遠く、ほとんど村人同士の交流しかないので自給自足の生活が基本です。ため作も朝日が昇ると田畑を耕し、一仕事終えれば農具の手入れに励みました。午後からは自由時間です。城下町から時折くる行商から買ってきた本を読んだり、家の裏手の池に釣り糸を垂らしたりして時を過ごしていました。
ため作が住んでいる家の前には、大きな川が流れていていつもせせらぎが聞こえてきます。初めて旅から訪れた時にすっかりこの場所が好きになり、ここに移り住んだのでした。
川の向こうには一軒の空き家があります。ため作の家とこの空き家を挟んで川には橋がかかっています。ため作は午後の時間を持て余すこともあり、もしかしたらいつか空き家を使う人が来るかも知れないと思うこともあって定期的にこの空き家を掃除していました。
小さい頃に生き別れた父から「人の役に立てよ。そうすればお前が生きる道は広く大きく頑丈になる」と言われたことがありました。意味はよく分からなかったのですが、ずっと心に残っており、それが影響したのか大人になってからはすっかり世話好きな性格になっていました。
空き家は六畳二間ほどの大きさで簡素な作りでしたが、雨風に強く丈夫な家でした。ため作はここにくると全ての戸を開け放ち、風通しをよくしてススや埃を持ってきた箒で払い落とします。気持ちがスッキリするので空き家の掃除はそれほど苦にはなりません。ため作はいつも通り空き家の掃除を始めましたが、奥の部屋の棚の中に見慣れない小箱を見つけました。いつも掃除しているので家の隅々まで見渡しているはずですが、その小箱を見たのは初めてです。
「あれ?こんな小箱あったっけ?」
小箱の中には不思議な形の石が入っていました。丸い石に小さな石が周りを囲むようにくっついています。物珍しげにあちこち触りながら上から下から眺め見て、小石の部分を剥がしてみようとグイッと引っ張りました。
「あだだだだ!抜ける抜ける!」
どこからか声がした気がします。ため作はあたりを見回しましたが誰もいません。首を傾げて視線を不思議な形の石に戻すと、なんだか石に入った模様が顔のようにも見えてきます。
「まさかこの石がしゃべったのかな?」
顔のような真ん中のところをぐいぐい押してみます。
「いったぁー!美男子の鼻が折れるやんけ!」
またどこからか声がしたような気がします。
「不思議なこともあるもんだ」
たまに読む本の中にも幽霊や神様の物語があります。ため作は怖いというより興味津々でした。不思議な石を手に取ると空き家の戸締りをしてその日は空き家を後にしました。
空き家のお爺さん
獅子神様が飛び去ってから数日経ちました。いつものように畑仕事を終えて、ため作は河原で手を洗い空き家の掃除へ向かいました。空き家に着くと、いつもと空き家の雰囲気がなんとなく違います。玄関口も空いていました。
「誰か来たのかな」
不思議に思いながら空き家の入り口に立った時、背後に人の気配を感じました。後ろを振り返りましたが誰もいません。あれ?おかしいな。と正面を向き直した目の前に小柄なお爺さんが立っていました。ため作はうわっと尻餅をつきました。
「なんじゃ?お主は」
呆気に取られてへたりこんでいるため作をジロリと見つめ、右から左から値踏みするように眺め回してこう言いました。ため作からすれば「なんじゃ?お主は」と言うのはこちらなんですが…
「お主がここの手入れをしていたのか?」
あごひげをさすりながら続けてお爺さんは話します。
「数日前からワシが使わせてもらってる。戸締りはしてあったが簡単に開いたのでな」
「これからは掃除はいらん。帰ってくれ」
勝手に使っておいて随分な物言いだなぁ。とは思いましたが、そもそもため作のものでもありません。立ち上がるとお爺さんに軽い挨拶だけしてその日は帰ることにしました。
みまもり村はそれほど人も多くなく、それぞれの家が点在していました。この辺りにはため作の家と空き家が近いくらいで馴染の家までは歩いて一里ほど離れています。あまり人気がない村なので、お爺さんをひとりぼっちにしておくのも心配です。父の言葉を思い出し、定期的に空き家を見回ろうと考えました。
「もう空き家じゃないからお爺さんの家ってことにするか」
ため作は本を読むのが好きで、その中でも不思議な話が大好きです。お爺さんや神様との新たな出会いは少し不安もありますがこれからのことを想像するととてもワクワクしてきます。ため作は夕食の支度をしながら明日はおじいさんの家に余った野菜でも届けてみるかと思い立ったのでした。
第二部
忍
あくる日、畑の新鮮な野菜がたくさん摂れたので、再びお爺さんの家を訪ねました。
「お爺さん。いますかー?」
家の玄関口から中を覗いてみましたが人の気配がありません。どこか出掛けているんだろうか?そう思いながら家の外を見回そうと思った瞬間、バチーン!と頭に衝撃が走りました。
「いったぁぁ!」
ため作は今日も尻餅をつきました。
「なんじゃ、まぁたお前か」
一つため息をつくと呆れたようにお爺さんは言いました。
「世話なぞいらんぞ」
ため作の考えを見透かしたかのようです。
「ワシは人が嫌いなんじゃ。ワシのことは構わんでいい」
ため作はゆっくり起き上がると打たれた頭をさすりながら答えました。
「でもお爺さん一人でしょう?山と川に囲まれたこの辺りは人通りも少ないし、近所付き合いはしておいた方がいいと思って…」
わかりやすいように身振り手振りで説明する。
「いらん。ワシは一人気ままに暮らしたくてここに来たんじゃ。のたれ死のうが構わんから放っておけ。気遣い無用じゃ」
「でも買い出しするにも城下までは距離がありますし、ボクは米も野菜も育ててますから
持ってきますよ」
もうひとつため息をつくと、背を向けたお爺さんがくるりと首だけ回して眉を動かしました。
「帰れ」
これ以上粘っても仕方ないので、ため作は野菜ここに置いておきますから良かったら食べてくださいね。と一言告げて家に帰ることにしました。
獅子神様ふたたび
「その爺さん、もしかしたら忍者なんやないか?」
口いっぱいに炊き立てのご飯を頬張りながらライオンはため作に答えました。
「あの。ご飯粒飛んでます」
「あ、すまんすまん」
もう一度ご飯粒を飛ばしながら再び話し始めました。
「神様の会合の後にな、この時代のことを調べてきてんけども村自体は平和そのものやねん。でも国全体では戦の真っ最中なんやってな」
「そうですね。この辺りはお城からは遠いし、栄えた場所でもないから戦には巻き込まれたことはないですけどね。」
ため作は煮物を箸でつまんで口に入れ、まぁまぁかなと呟きました。
「戦では何よりも情報が大事らしくてな。忍者がたくさんいて敵国の情報を取ったり、時には人を殺したりしてしまうらしいで」「爺さんの身のこなしからしてその戦で戦う忍者だったりするんやないやろか?」
ひとしきりおかずに手をつけた後、おかわりと言って獅子神様は椀を差し出してきました。
「でも忍者ならお城や戦場にいるのが普通でしょう?なんでこんな田舎の村にやってきたんでしょうね?」
「もう嫌になったんとちゃう?ワシかて神様辞めたくなる時あるもん。」
誰でも続けていたことが嫌になってしまう時はあります。お爺さんと出会ってみて感じたのは物悲しい寂しさと人を寄せ付けない圧倒感でした。もしかしたら何か悩みを抱えているのかもしれないとため作は思いました。そんな考え事をしてから、ふと目の前に視線を戻すと目の前の呑気な神様は、食後に用意しておいた団子を一口で3つ全部口に入れてモゴモゴしています。
「みへなひひょころへうろぉひふへほ」
ごくんと飲み込んでからもう一度答えます。
「見えないところで苦労してるんかもよ」
「獅子神様は全然お気楽そうですけどね」
獅子神様は数日前にどこからか急に現れて、それ以降ため作と寝食を共にしています。特に何か特別な神通力を使うわけでもなく、畑仕事を手伝うでもなく、脇で喋り通すだけです。神様的なありがたみは感じませんでしたが、こうして話しながら夕餉を取れるのはとても楽しく感じました。
抜け忍
今日もため作は、日課に加わったお爺さんの家の訪問準備を始めます。あれからもう何度も足を運んでいますが、相変わらず爺さんにはため作を追い返される毎日です。
「さて、いくか」
採れたて野菜を木材で作った背負子に括って今日も懲りずに出かけます。野菜はいつも決まって家の脇の荷置き場においておくのですが、次に来る時にはなくなっているので食べてくれてはいる様子です。いつも通りに背負った野菜を家の脇に置こうと回り込むと、家の外壁にバツ印が3つ彫られていました。お爺さんが付けたのかちょうど良い目印だったので、今日はそこに野菜を置いて玄関口に回り込みました。
「お爺さんいますかー?」
ため作はそう室内に声をかけようとしたその時、またいつの間にか背後にお爺さんが立っていました。びっくりして振り返りましたが、今日のお爺さんはいつもと雰囲気が違います。
「まぁ中に入りなさい」
ため作は戸惑いながらも正面の囲炉裏の前に座りました。お爺さんは囲炉裏の上に掛けてあった急須から湯を注ぐとため作に湯呑みを渡し、お茶請けを勧めながら言いました。
「ため作と言ったか」
「はい」
ため作はきちっと正座しています。
「今まで親切にしてもらったのに無礼にして悪かったの」
お爺さんは衣を正して軽く頭を垂れました。
「流石にこのままお前をあしらい続けるのもどうかと思ってな。もし巻き込まれてしまったらそれもまずい。この先のことも考えて話しておこうと思ったんじゃ」
なんのことだろうと不思議に思いながらもため作は話の続きを聞きました。
「もう察しておるかもしれんが、ワシは一介の老人ではない。」
お爺さんは穏やかな佇まいですが、目は鋭さを保ったままこちらを見つめています。
「少し前まで戦場を駆け回り、血に塗れた戦いに明け暮れた元忍者だったんじゃ」
ため作は獅子神様の顔が浮かびました。
「幼い頃から忍者として。暗殺者として生きる教育を受け続けて育ってきた。嬉しいことや楽しいこともなくただひたすら任務を全うする日々じゃった」
「そんなことを何十年と続けていつしか忍者の頭領として国では名の知れた忍者になったよ。小さい頃からそれが使命だと思って生きてきたしな。」
「私には想像もできない世界です…」
ため作は膝の上の握り拳にぎゅっと力が入りました。
「そんな暮らしをしとったある時、忍者の里に母娘が流浪の旅から流れてきよった」
「食うものもなし寝床も帰る場所もないというから里で面倒を見てやることになった。明るく良く笑う親子での。すぐに里の者とも打ち解けていった」
お爺さんはこの時だけは優しく微笑みながら話を進めました。
「じゃがの。ここは戦の里じゃ。それが災いした。敵国の忍者衆が攻めてきよったんじゃ」
「激しい戦いの中で乱戦になった。頭領となったワシも数人の忍者に襲われた。いくら忍者として強くなったとはいっても集団で襲われたら勝つのは難しい。ワシも覚悟をしたよ」
「何人かの忍者の刀をかわし、切り倒した。だがその中の一人の忍者はまだ動けたんじゃな。背後からワシに斬りかかった。その時、娘が飛び込んで来てワシを庇ったんじゃ。」
「む、娘さんは…」
ため作はごくりと唾を飲みます。
「刀が深く刺さり死んでしまった。ワシが抱きかかえた時は微笑んでいたよ。無事でよかったと言ってな。着物の帯にヨモギの花をつけておった」
「里はなんとか勝利したが、力を持たない里の幼児は皆殺された。娘と一緒に郷に来た母もその中に混じっていた」
ため作は爺さんの話にじっと聞き入っています。出されたお茶もすっかり冷めてしまいました。
「茶を淹れ直そう」
お茶を淹れる音とそれ以外の静寂が続きます。ため作は爺さんの心情を思い浮かべると悲しくなりました。
「忍びとして戦いに明け暮れていたが、誰かを殺せば誰かに恨まれる。戦いは戦いしか生まないことをその時身をもって知ったんじゃ」
爺さんは入れ直したお茶をため作に渡しながら話を続けました。
「ワシは心身ともに疲れ果て忍者を抜けることに決めた。じゃが、忍者というのは秘密の組織じゃから本来抜けることは許されん。頭領ともなれば尚更じゃ。」
「それは…。どうなってしまうんですか?」
「そこからは敵からも、かつての味方からも追われる日々じゃよ」
爺さんは上半身の着物を脱ぐと生々しくおびただしい数の傷がありました。脇腹の傷に至っては癒えておらず包帯を巻いています。
「ため作を警戒したのも、追っ手の忍者かもしれんからじゃ。ただの村人だったとしても一緒にいればまた災いに巻き込んでしまうからな」
「もう傷だらけであまりうまく動けん。残りわずかばかりの余生は静かに暮らそうかと思ってな。なんとかこの村までたどり着いたんじゃよ。」
ため作はお茶を飲み干すと、すっと姿勢を正しました。
「大丈夫です。これからもボクは新鮮な野菜やお米を届けますし、様子を見にちょくちょく顔を出しますから。きっとこれからは穏やかに過ごせますよ。」
爺さんは娘の話の時と同じように微笑んだ。
「ありがとう。だが何が起こるか分からん。警戒は怠らんでくれよ。
それからしばらくは、ため作が野菜を届けるとお爺さんが出迎えてくれて、談笑してから帰るという日々が続きました。お爺さんはあの話をした後はすっかり穏やかになって気持ちもほぐれてきていたようでした。
「いやー。すっかり仲ようなったやん。」
収穫した稲穂を掛け台に干しながら神様は鼻歌まじりに話しかけてきます。
「そうですねぇ。最初の頃に比べたら別人の様ですよ」
「ため作の熱意の賜物やな」
「当たり前のことをしていただけです。それに時間だけはたっぷりあるから暇ですし」
笑いながら獅子神様が掛けた稲穂をかけ直す。
「あの。ぐちゃっと適当に干されると稲が乾かないんですよ」
獅子神様も笑いながら答える。
「大丈夫やってー。少し神通力また使えるようになったんやから、お天道様も動かしたるわ」
獅子神様は干していた手を止めると、両の手の指を合わせて喝っ!と一声吠えた。すると先程まで晴れていた空が途端に雲行きが怪しくなった。雨がぽつぽつと降り始める。
「ちょっとー!勘弁してくださいよー!!!ほんとだめなんだからー!」
「あ!それ絶対言ったらあかんやつ!あかんやつー!」
追いかけっこするように急いで稲穂を仕舞い込みます。余計な作業に追われながらも楽しそうな二人なのでした。
第三幕
償い
次の日、良い味噌が手に入ったのでため作は再びお爺さんの家を訪ねると、あたりの雰囲気が違います。ため作はハッとして家の中に駆け込みました。ため作の予感は的中してしまいます。お爺さんが部屋の隅で、壁にもたれ掛かるようにして息絶えていたのです。
「お爺さん!」
すでに体は冷たくなっていて、作務衣の胸元に破けた跡と血の滲む痕がありました。部屋は散らかった様子もなく、ただそこにお爺さんの遺体があるだけです。悲しみから時が止まった様に感じました。ため作はしばらく呆然と立ち尽くしましたが、頭の奥から聞こえた獅子神様のしっかりせえ!という声に気を取り直しました。すぐにお爺さんの小柄な体を抱き抱えるように優しく運び、見晴らしの良い河原のほとりに手厚く埋葬してあげました。
「お爺さん。短い間でしたがありがとうございました。来世ではたくさんの人と支え合える優しい世界に生きられますように…」ため作の頬を一筋の雫がこぼれ落ちました。
お爺さんが亡くなったあと、ため作は遺品の片付けをしていると部屋の薬棚の引き出しから一通の手紙を見つけました。
拝啓 ため作殿
ため作よ。
おそらくこの手紙をお前さんが読んでいる頃にはワシはこの世にはいないじゃろう。どうしてもため作にはもう少し話を聞いてほしくてな。ただその時間もワシには残されておらん。だからこうして手紙をしたためた。運よくお前さんがこの手紙を見つけてくれれば良いんじゃが…
これまでたくさんの命をワシは奪ってきた。だからこそ今度は狙われる身になっておる。当然の報いじゃ。お前さんも気づいたかもしれんが家の外に彫られていたバツ印は追手の忍者に見つかってしまった証拠なんじゃ。本来ならまた別の場所に逃げなきゃならん。だが、もうワシは疲れた。それに今まで行ってきた事の報いもいつかは受けねばならん。ここで静かにその時を待つことにした。
ワシは川のせせらぎが聞こえるこの場所が好きじゃ。ため作の「お爺さんいますかー?」と訪ねてくるその声も心地よかった。ボロボロの空き家も住めば都じゃ。この場所で死ぬるならそれも良い。もう時間はあまり残されておらん。刺客がまもなく現れるじゃろうて。
ため作よ。お主にはたくさんの優しさと思いやりをもらった。だからワシは感謝の気持ちとなんとも言えぬ安らぎに満ちておる。世話になったな。ありがとう。
この歳になって今更気づいたが、誰かを傷つければ次は自分が傷つけられる。ワシのように命で償うことにもなりかねん。ならばその逆はどうじゃ?ため作のように自分から周りの人間を気遣い、優しさを皆に分け与えれば、それをされた皆は幸せな気分になる。もし国中が誰かを傷つけることなく皆が皆、周りの者が喜ぶことを進んで行う世の中になれば泰平の世が築けるのかもしれん。
ずっとあまり気にも止めんかった過去の出来事が此処にきて腑に落ちたんじゃよ。もっと若いうちに気付けていれば或いは違った人生を歩めたのかもしれん。もし生まれ変わることがあるのなら、その時はこの教訓を活かすことにする。今は静かにその時を待とう。
さらばだ。ため作。これからもたくさんの人にお主の優しさを分けてやってくれ。
本時九斎 右惣八
「ぽ、ぽんじくさいうそや?! あの戦国一の大忍者! 言葉だけで国をも動かしたあの本時九流忍者の頭領だったんだ…」
噂で聞いていた幻の忍者がお爺さんだったなんて…。見つけた手紙を大切にしまうとため作は家路につきました。悲しみ、決意、驚き、色んな思いがぐるぐるしながら、帰り道ため作は今までの数ヶ月間を頭の中で振り返っていました…
二度目のお別れ
家に戻ると獅子神様が座布団に座って待っていました。もうすっかり自分の家です。すでに起きたことは知っているようで唐突に切り出しました。
「えらい大変やったなぁ」
ため作は履物を脱ぐと、手拭いで顔を拭きながら居間に上がりました。
「お爺さん。こうなることを覚悟していたみたいです」
「忍者はいうて暗殺組織やからな。抜けるなんてことはご法度や。忍者として活きた情報をたくさん持っとるからな。命を狙われるのは当然あるわ。」
神様なのにお茶を淹れてくれるその様子を見て、心傷していたため作は少し癒されました。
「ましてやたくさん殺めた諸国の忍者にも狙われているとなると、今まで逃げ切れていたことが不思議なくらいですね」
「そうやな。まぁワシも神様の端くれや。来世ではあんじょうよろしく言うて他の神様に頼んどくわ」
神様は言いながらぽんとため作の肩を叩きました。あ、そうそうと話を続けます。
「ため作。長いこと世話になっとったけど、ワシもそろそろお別れや」
ため作はきょとんとした顔で尋ねました。
「え?そうなんですか?」
「うん。ため作が爺さんとやりとりしとった間、ため作いっぱいお爺さんに親切にしたやろ?」
「ボクにできることをしていただけですよ」
苦笑いしながら答えました。
「お爺さんも感謝の気持ちでだいぶ癒されてたからな。それで神通力の力が強まったんや
「そしたら、神様連中がそろそろ戻ってこいと言うとってなぁ」
神様なのに一つの場所に居続けるのも良くないから、ため作はなんとなく理解できました。
「神通力を使っての移動は帰りはきちんと神様の住処に飛ぶんやけど、行き先は指定できないんよ。だから一度帰ってしまうと此処にはもう戻ってこれん」
ため作は話を聞いてがっくりとうなだれました。
「ボク。また一人になってしまいますね。寂しいなぁ」
ニコニコしながら獅子神様は答えます。
「今までは一人自由に生きてきたかも知らんけど、人と支え合いながら生きるのも悪くないやろ?今は爺さんやワシと出会ってそれを知ったから、寂しい気持ちが生まれてきとるんや」
「そうですね」
「これからはもっと村の皆とも交流したらええよ。きっと今よりもっと楽しくなるで」
獅子神様は言いながら部屋の荷物をまとめ始めました。
「自由は自由で良いもんや。けど自由だけだと飽きてしまうこともある。人は支え合って生きていくようできてるんやからな」
「ほなそろそろいくで。次また会えるといいんやけどな」
「きっといつかまた会えるように神様にお願いします」
神様に会えるように神様にお願いするのもおかしな気がしたが獅子神様の場合はそれで正しい様な気がしました。くすっとため作は笑いました。
ため作は突然の不思議な出会いと別れに感謝しながら、もっともっと美味しい新鮮なお米と野菜を作って村のみんなに配ってみようと畑仕事に精を出すのでした。
完